おおふち健のプロフィール
          

子供の頃から丸顔
大渕 健(おおふち けん)
1972年(昭和47年)11月21日生まれ 血液型A型


◆小千谷市の生家は兼業農家、4人兄妹の長男として生まれる。


◆子供の頃は体力をもて余し、小学校から自宅まではよく「フォレスト・ガンプ」のように走って帰宅していた記憶がある。このころからマラソン、クロスカントリースキーといった長距離種目に熱中。負けず嫌いな性格も手伝い、熱血スポーツ少年だった。マラソンは現在に至るまで続けている。

ひたすら走った10代
◆テレビで見た高校駅伝に憧れ、十日町高校時代もひたすら長距離に打ち込む。幸運にも念願叶い、三年時には県代表として全国高校駅伝に出場。体の故障を克服し、苦楽を共にした仲間とあこがれの都大路を走ったことは青春時代の最高の思い出!しかし全国大会の壁は厚く、悔し涙を流した。

◆スポーツ一辺倒のツケがまわり大学受験に失敗。浪人生活を新潟市で送る。河川が交差し海が広がる新潟市の町の美しさに感動。友人も多く、楽しく過ごしてしまった一年間だった。万代橋から佐渡汽船乗り場、関屋分水までの信濃川沿いをお気に入りのランニングコースにしていた。

大学では先輩から頂いた
学ランを着ていた

◆明治大学に入学。大学では足腰の故障もあったため競技生活はあきらめる。興味の対象は自分の心身を鍛えることから、人、社会へと向かう。冷戦の終わり、湾岸戦争、農産物の輸入自由化、政治改革・・・。持ち前の正義感は、政治をよくしなければという強い衝動となって体を突き動かした。自分の将来や社会のことを考え、眠れない夜を幾晩も過ごした。

◆雄弁部に所属し代表も務めた。なかでも有志で結成する「21世紀政治フォーラム」で研究会活動に没頭。21世紀を担う若者として何をすべきか、何ができるのか、真剣な仲間たちと夜を徹して議論し行動した日々。このときの青臭いまでのまっすぐな情熱が今に至っても私のベースとなっているような気がする。

カンボジアの小学校建設現場にて
◆勉強やサークル活動に励む一方、NGOに参加しロシア(救援物資の運搬)、カンボジア(小学校の建設)などでの活動、数々の選挙ボランティア・・・。大学の勉強の枠を超え、手あたり次第に興味がある現場に体当たりで飛び込んだ。様々な経験を積み重ね、出会った多くの人たちに鍛え、育てて頂いたこと、それは貴重な財産となっている。
◆卒業後は全国社会福祉協議会に入社。その後都議会議員秘書を経て、2000年6月より民主党・衆議院議員阿久津幸彦(東京第24区)公設秘書を務める。2001年3月より公設第1秘書
◆2002年夏、自ら行動することを決意。民主党新潟県連の候補者公募に応募。

◆2003年4月新潟県議会議員選挙(新潟市)において初当選。
◆2007年4月新潟県議会議員選挙(新潟市西区)2回目の当選

◆2019年4月同選挙5回目の当選

◆県議会会派「未来にいがた」幹事長
◆立憲民主党新潟県連 幹事長


◆新潟市西区小針在住 妻(智絵)、H24年生まれの娘、義父、の四人家族
◆趣味 マラソン スポーツ観戦全般
◆好きな食べ物 焼肉 そば イタリアン(みかづき)